ヘイ!ベイビー!元気かい?“キャデラックが似合う男”ルーです。 それと、何回も言うけどルーの“ルー”はルー大柴の“ルー”では無い間違えるな!!!
久々のコラムで少々緊張ぎみだゼ!!
以前、このルー様のコラムが長いと、、、、長い、短いが問題では無い!!!“アメ車道”を簡単に語ろうとするのが間違いなのダ! (読者諸君には、解るかな?この違いが、、、、)
では、本題に戻るとしょう、今回は以前から保留になっていた“コルビーの巻 No.2”サブタイトル“Cの系譜”。
コルベットに興味のある読者諸君!今回は少々掘り下げてみたいと思う、時代で言うと1968年から1982年。(“コルビー”にとって一番重要な時代)
1970年を境にした時代、それはアメリカのモータリゼーションにおける一大変革の時期である。その時代背景として多々歴史的な出来事があった時代、 1968年黒人公民権運動指導者キング牧師暗殺、1969年アポロ11号月面に着陸、1973年第一次オイルショック、1976年アメリカ建国200年、 1979年中国国交正常化などETC、、、、読者諸君の中でライブで当時を経験した人は居るかな?、、、、
一大変革の主たる要因はオイルショックであったが、しかしその逆風の中を駆け抜けていった1台(C3)、今もその姿を華麗に進化させながら・・・C4・ 5・6 以前に記したと思うが、、、、カンの良い読者諸君であれば、、、、日系人デザイナーのラリー・シノダが生み出した“メイコシャーク“そのスタイリングはコークボルトデザインとしてC3に色濃く反映された、歴代コルビーの中でも最も長いモデルレンジを誇る68年モデル、スチールバンパーラストモデルとなる73年モデルなど、”メイコシャーク“のスタイリングを殆んどそのまま生産化したモデルが第三世代(C3)となる。
GMは当時の装備として初めてTトップ(2分割式のデタッチャブルルーフ)、エンジンとしては5.3リッター(スモールブロック)と7.0リッター(ビックブロック)後に1970年モデルはLS6・4バレルキャブ・NAながら500馬力まで用意した。 (余談ではあるが、今日に至るまでこのエンジン・排気量を越えるモノは存在しない。)時として、1970年“第二次オイルショック”時代は全世界の高性能スポーツカーに対して大きな打撃与え、スポーツカーの存在自体も危うくした、コルビーも例外では無くその中の1台であつた、“コルビー”は、そうした逆風の中でもポジション・存在を揺るがせる事無く生きて来た。(ハリー・アール、ウイリアム・ミッチェル、ゾーラ・ダントフこれはZR-1の産みの親の様な人、など多くの伝説的な人々に見守れながら、、、、)
唯一無二のアメリカン・スポーツカーとして50年に渡り君臨してきたコルビー、“コルベット”は今でもアメリカン・スポーツを愛する者にとって特別な意味を持つネーミングである。 C5の時代から、コルビーは走りに対してのクオリティを求め追求し始めた、C3 C4に対してもそうした開発姿勢が無かった訳では無いが、C4以前のコルビーがオールラウンダーと言えば必ずしもそうでは無い、しかしC5は“ル・マン”でGTクラスを制するまでになり、ファイナル・モデルの“コメモラティブ・エディション”はドイツのニュルで8分の壁を破るラップタイムを叩きだした。走りの質が高められ、煮詰められ、いよいよC6登場となる。
最初に今回は少々掘り下げるとは言った物の、まだまだ言いたい事は山ほど有る。(予定の30%位かな、、、、ギャグも少なかったから、、、、、) が、今回はここまで、次回は“キャデ”を語る予定である、(一応予定だから、あくまでも未定です、、、、、、)






